--- 簡単な解説 --- (函館戦争の流れから新撰組 土方歳三を追う!)

【二股口の戦い】

これは日本海の乙部(おとべ)に上陸した新政府軍を土方歳三が迎え撃った戦いです!
負ければ函館に進攻されてしまう!!!
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

雪解けとともに新政府軍が北海道に上陸。乙部、江差の函館政府軍を蹴散らし、
江差街道から函館へ向かう。

函館では常勝将軍の新撰組土方歳三は、約300名を率いて函館侵入を大野町二股口で
これを迎え撃つ。
激しい戦闘の日が続くがこれを防衛するも木古内方面で味方が敗北したため、退路を絶たれる
恐れがでてやむなく撤退する。

 




4月の大野町二股口
「二股口の戦い」

函館歴史 新撰組土方歳三
名所 Vol.06

新政府軍進攻ルート

黄色×が江差街道にある二股口、白×が木古内。
乙部は江差と熊石の間辺りです。

乙部(江差)から函館に行く最短距離は、江差街道になる。

江差街道を走るとよくわかるが、川が街道沿いに流れ急ではないが常に山がせまっている一本の街道である。

蝦夷地乙部村



四月九日
敵船乙部村来襲之図
「麦叢録附図」より
-市立函館図書館-

大野町二股口
新撰組土方歳三激戦の地の碑

橋のたもとに白い木の棒があります。

歴史ファンには、時間があれば見てもらい場所かも?(函館からかなり遠いけど。)
個人的には、箱館戦争後に作られた数多くの碑を見るより、新撰組土方歳三が実際に戦った場所を見て欲しいと思います。

新撰組土方歳三らが北海道に上陸して5ヶ月、4月9日ついに新政府軍が北海道に軍を送ってきた。

新政府軍あらわる

雪が融けると同時に新政府軍がやってきた。新政府軍は、江差から近い日本海の乙部村に上陸。兵約2,000名。江差街道を進み函館を目指す。

乙部村 守備兵約30名は、圧倒的な兵力差によって殲滅、江差の守備隊約250名は、艦砲射撃で殲滅。

土方歳三は、兵約300名を率いて「二股口」へ出陣

大鳥圭介は、兵約500名を率いて「木古内」へ出陣

戦闘 1869年 4月13日〜4月29日

「麦叢録」によれば13日の戦闘は、16時間におよび土方歳三の函館政府軍だけで3万5千発の銃弾を撃ったとされています。

そして、土方歳三率いる函館軍は、新政府軍にほぼ全滅に近い打撃を与えた。

その後、十数日間にわたり攻められますが、すべてこれを撃退。しかし、津軽海峡沿いの大鳥圭介の守る木古内が落ち、且つ二股-函館間の通路にあたる矢不来の陣地が落ちたため、敵に背後を衝かれたり、孤立する恐れがでたため撤退を余儀なくされました。

これによって函館軍は、函館市内での戦闘を余儀なくされることになります。

蝦夷共和国宣言より

江差街道には、館城、松前藩番小屋、新政府軍の本陣の跡、台場、無名戦死者の墓など多数の史跡があります。
ただ、見る価値があるかは、あなたの専門性によります。私自身は館城以外はつまらない感じがしました。史跡を求めて山に入りすぎると熊が出ますし、ちょっと不気味な感じさえする場所も多いです。

PRESENTED BY 函館発信!新撰組土方歳三サイト 蝦夷共和国宣言