函館発信
蝦夷共和国宣言 新撰組土方歳三
 

--- 簡単な解説 --- (函館戦争の流れから新撰組 土方歳三を追う!)

各々の思想、生き様、ポリシーなどが混在した函館政府軍。
混在しているからこその函館政府軍。

蝦夷地仮政権 函館政府軍

朝廷から蝦夷地開拓の許可がおりるまでの暫定の措置として各役職を決定。

総裁 榎本釜次郎(武揚)
副総裁 松平太郎

陸軍奉行 大鳥圭介
陸軍奉行並 土方歳三(函館市中取締り役兼任)

函館奉行  永井玄蕃
函館奉行並 中島三郎助 (砲兵隊長、千代ヶ岱陣屋守将)


フランス軍事顧問と将校より
市立函館図書館蔵
「市立函館図書館蔵」

函館歴史 新撰組土方歳三
名所 Vol.04

当時の函館

市立函館図書館蔵
-市立函館図書館蔵-
(当サイトで画像処理)

町外れの一本木(Ippongi)と書かれたところに関所を設けて通行税を徴収。現在の函館駅の近くになります。

現在の函館の繁華街五稜郭は、当時は函館市外でした。

 

函館歴史観光

1867年、12月15日に士官以上の入札にて役職が決定され函館政府の組織が出来上がりました。

当サイトのタイトルは「蝦夷共和国宣言」ですが、実際のところ旧幕府軍の主旨は、新政府の下にて 徳川家と家臣団の存続を目的とした蝦夷地開拓でありました。

よって函館戦争後、戦死した元新撰組土方歳や中島三郎助以外の幹部のほとんどは明治新政府のもとで働いています。

兵制は、旧幕府軍の軍事顧問だったフランス式を採用し、総裁の軍事顧問としてブリュネィ隊長、そして各連隊(四列士満)にそれぞれフランス人顧問を司令官として配置しました。

函館榎本町は総裁 榎本武揚の名前を取ったものです。


総裁 榎本釜次郎武揚

榎本釜次郎武揚

-市立函館図書館蔵-


蝦夷共和国宣言より

当サイトでは「旧幕府軍」を12月15日を境に「函館政府軍」と呼び名を変えています。
「函館政府軍」の名称は、ご存知のとおり故司馬遼太郎が「燃えよ剣」で使用しています。函館人として非常に気に入っているので
当サイトでもこの呼び名を採用しました。

このページの今後のアップ予定

・函館での榎本武揚について内容の充実
フランス軍事顧問ブリュネィについて
・ブラキストンなどの外国商館と函館政府軍について

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