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東屋


柳川熊吉の義碑


東屋備え付けの線香とノート

-- 碧血碑は2つある!--

南北海道の鶉ダムにある碧血碑。こちらは、松前藩士を慰霊した碧血碑。

 

 

碧血碑(へっけつひ)とは?

新撰組土方歳三や中島三郎助などの函館戦争で戦死した函館政府軍(旧幕府軍)約800名が祭られている慰霊碑です。
新撰組土方歳三ファンが多く訪れる場所です。

碧血碑の名前の由来

中国の故事より「義に殉じた志士の血は、3年経つと碧に変わる」からきています。

おすすめ観光度

歴史ファン ★★
新撰組土方歳三ファン ★★★★★
一般函館観光客 ★

新撰組土方歳三も慰霊されている碧血碑。毎年5月に慰霊祭が行われ大勢の人で賑わいます。

 

おすすめはレンタカーか、電車です。レンタカーの場合は、立待岬から行くと駐車スペースが一台分しかありません。しかし、立待岬の観光と合わせて見るのがいいと思います。立待岬からは一方通行なので迷うことはありません。

電車の場合は、谷地頭温泉の電停(終点)から進行方向右に向かって徒歩15分の坂道を登ることになりますが、がんばって登るが多いです。(坂の突き当たりに駐車場があります。約8台止めれます。)

立待岬も回ってから碧血碑に行く場合は、電車の進行方向を直進であとは看板が出てます。立待岬、碧血碑の二つを谷地頭電停から徒歩移動し観光すると約1時間くらいかかります。

碧血碑には、有志のおかげでお線香とノートが備え付けられています。新撰組土方歳三をはじめとする旧幕府軍の慰霊も行えます。

函館山の麓にあり普段はさびしい場所です。歴史や新撰組土方歳三に興味がなければパスしても十分な場所です。

柳川熊吉の義碑

碧血碑の敷地内に柳川熊吉の義碑があります。これは、1869年、函館戦争が終結したときに「賊軍の慰霊を行ってはいけない」との御触れがでていて函館政府軍の死体は放置されたままでした。

この新政府軍の処置に義憤を感じて実行寺の僧と一緒に死体を集めて葬し、2年後に函館山のこの場所に土地を買い改葬しました。さらに2年後に碧血碑を建てました。

市営谷地頭温泉、函館市民が朝の6:00から入浴する人気の温泉。温泉の表示などまったく問題にしないくらい純度の高い370円の温泉です。

立待岬、石川啄木一族の墓も割と近い場所にあります。

 

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