新撰組土方歳三 函館歴史観光案内
蝦夷共和国宣言
中島三郎助父子最期の地/千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岱陣屋)


 
 


函館戦争時、函館政府軍の3大軍事施設と言ったら「五稜郭」「弁天岬台場」「千代ヶ岱陣屋」。
そのひとつの千代ヶ岱陣屋の守将が「中島三郎助」です。

函館総攻撃後、中島三郎助は、新政府軍の降伏勧告を最期まではねつけて長男 恒太郎、次男 英次郎と共に討ち死にをしました。

函館の中島町は、中島三郎助の名からきています。また、千代が台町は、千代ヶ岱陣屋からきています。

新撰組土方歳三は、陸軍奉行並、中島三郎助は箱館奉行並でした。

 

もと浦賀奉行の与力でペリー来航時に小船でのりこみ訊問応接に出かけた経緯のある人物で洋学教育を受け軍艦操練、砲術にもたけていました。
毎年5月の五稜祭にて中島三郎助父子の慰霊祭が行われます。

千代ヶ岱陣屋跡地 - 中島三郎助父子最期の地間は、徒歩2分です。

 

千代ヶ岡陣屋跡地
現オーシャンスタジアム
中島三郎助父子最期の地
慰霊祭の様子

中島三郎助父子最期の地と千代ヶ岱陣屋跡地だけの見学だけでは、よほど歴史に興味がなければ、がっかりすると思います。

おすすめ観光としては、中島廉売(函館庶民の市場)の見学と合わせるといいかもしれません。(推奨)

千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岱陣屋) ---
陣地のあった場所は、オーシャンスタジアムの裏から中島小学校あたりとされています。 現在、千代ヶ岱陣屋はない。跡すらない。
正直、イメージすらわきません。

よほど興味のある人のみの観光でいいと思います。五稜郭、函館山(旧箱館市街地)等の位置関係を確認する程度の観光になると思います。

中島三郎助父子最期の地 ---
函館ではよく知られた人物ですが、無理して行く場所ではありませんが、函館では人気のある中島三郎助です。

土方ファン★ 歴史ファン★★ 一般函館旅行者★

当初は、蝦夷地警備のための津軽藩(青森)の蝦夷本陣が置かれていた陣地。旧函館市街地と五稜郭の間に位置していました。

資料から見た陣屋の高さは人の3倍以上ある土塁、石垣がつまれていました。かなり大規模なものだったと思われます。(推測)

 千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岱陣屋)

 中島三郎助父子最期の地

函館の中心にあるので車なら非常に楽です。バス、電車の場合は、10分から15分くらい歩くことになります。

中島廉売-中島三郎助父子最期の地-千代ヶ岱陣屋跡地で回るなら路面電車で堀川町下車で徒歩で観光できます。

中島廉売を回らない観光なら市バス14、23、32番系統で「西部・テーオー前」下車です。

レンタカーの場合は、らくらく路上駐車可能。中島廉売に市の無料駐車場あり。

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